東京高等裁判所 昭和37年(ネ)2826号 判決 1964年7月16日
控訴人(原告) 高橋議平 外三名
被控訴人(被告) 玉川全円耕地整理組合 外一名
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実
控訴人ら代理人は原判決は取り消す。控訴人高橋が原判決添付目録(一)の一、控訴人宍倉が同目録(一)の二、控訴人飯田が同目録(一)の三、控訴人広田が同目録(一)の四記載の土地の各所有権を有することを確認する。被控訴人組合は右一の土地につき控訴人高橋に、同二の土地につき控訴人宍倉に、同三の土地につき控訴人飯田に、同四の土地につき控訴人広田にそれぞれ所有権移転登記手続をなせ。被控訴人鈴木は控訴人高橋に右一、控訴人宍倉に同二、控訴人飯田に同三、控訴人広田に同四の各土地を地上の植木を撤去してそれぞれ明け渡せ。訴訟費用は第一、二審共被控訴人らの負担とするとの判決並に明渡を求める部分について仮執行の宣言を求め、被控訴人ら代理人は主文第一項と同旨の判決を求めた。
当事者双方の事実上の陳述は被控訴代理人において本案前の抗弁を撤回したほか原判決摘示事実と同一であるから、これを引用する。但し原判決添付物件目録(二)を別紙目録(二)に訂正する。
(証拠省略)
理由
原判決添付目録(一)記載の各土地が別紙目録(二)記載の土地に順次該当し、もと訴外戸浪春雄所有の農地であつたところ、自作農創設特別措置法第三条第一項第一号の規定により買収がなされたものとされ、昭和二三年三月二五日付で売渡期日を同月二日とし控訴人高橋、宍倉、飯田、広田に順次右各土地が売り渡されたものとして別紙目録(二)の表示により昭和二五年七月二〇日控訴人らの各所有権取得登記が経由されたこと、右買収売渡当時右土地は附近一帯の土地と共に被控訴組合により耕地整理が実施中のため新地番が定められず、やむなく旧地番のまま前記の登記がなされたこと、その後耕地整理が完了し原判決添付目録(一)記載のとおり新地番が設定されたが、この地番の土地については昭和二五年五月一一日付で大蔵省から被控訴組合が払下により所有権を取得した旨の登記が経由されていることは当事者間に争がない。
右事実によれば、控訴人らは右売渡によりそれぞれ本件土地の所有権を一応取得したものと認めるべきである。
被控訴代理人は昭和二三年三月二五日付で同月二日を買収期日と定め、本件土地が森住平吉の小作する戸浪春雄の所有地として買収されたところ、当時既に右土地は森住が戸浪から買い受けてその所有権を取得した自作地であるので自創法による買収の対象になり得なかつたのに拘らず玉川地区農地委員会は前記のように誤認して買収計画を樹立したものである。そしてその後に至つて同農業委員会は右の誤認を確知し東京都知事の確認を得たうえ昭和二八年五月一四日付書面により控訴人らに対し本件土地の買収及び売渡計画は誤りであるので、取り消した旨通知した。そして右都知事の確認は買収売渡処分の取消を含むものであるから、これにより本件土地の買収売渡処分は失効したものであり、したがつて控訴人らは本件土地の所有者ではない旨抗弁する。
よつて按ずるに成立に争のない乙第一号証ないし同第三号証、同第五号証ないし同第九号証、同第一六号証、甲第一〇号証、同第一二号証、同第二〇号証と原審証人岡田明太郎(一、二回)、当審証人岡田明太郎、原審証人真木不二三、同瀬川彦助の各証言を総合すれば戸浪春雄は耕作者である森住平吉に対し昭和二〇年五月一日本件土地(但し乙第一号証の契約書には玉川用賀町一の一四八二と表示されている)を代金坪当り一七円合計一二九二〇円で売り渡し同時に内金として二九二〇円を受け取つたこと、その頃右土地と付近一帯の農地について被控訴組合による耕地整理が施行され新地番が未定のため所有権移転登記を経由し得なかつたので、右売買当事者は昭和二一年八月一〇日頃被控訴組合に右売買について登記名義の変更願を提出したこと、しかし農地委員会は本件農地を森住の小作地として買収計画を立て、(控訴人高橋において戸浪春雄名義を冒用して作成した文書であること当事者間に争のない甲第九号証には一筆調査の申告書にはその旨記載されている。)その結果昭和二三年三月二五日付令書により同月二日を期日として買収がなされ次で前記のとおり売渡しがなされるに至つたこと、その後森住から異議の申出があつたので農業委員会は調査の結果右の売買を真実と認め、昭和二七年九月一九日本件土地の買収計画を取り消す議決をなし、同月二七日付書面により東京都知事にその確認申請をなし、同知事において右申請を理由あるものと認め昭和二八年三月一六日付書面により右申請を確認したので、玉川地区農業委員会は控訴人らに対し本件土地の買収売渡計画の取消がなされたことを同年五月一四日付書面で通知したことが認められる。
もつとも右確認申請書(乙第六、第八号証)と委員会の通知書(同第九号証)には買収、売渡処分の取消なる語が用いられているけれども右申請書に農業委員会法第四九条の規定により申請するとある文言によれば、委員会はその権限に基き計画を取り消すことの確認を求めたものと看取されるし、また原審証人瀬川彦助、真木不二三の証言によれば、当時農業委員会と東京都の買収売渡関係吏員の間では買収売渡計画の取消とその処分の取消について用語上明確な区別をなさず、処分の取消なる不正確な用語によつて委員会における計画の取消の趣旨を表現し都側においてもその趣旨において事務処理をなしていたことが認められるので、右各書面に処分の取消なる語が用いられても、その内容は買収、売渡計画の取消を意味したものであり、したがつて右用語の故に農業委員会においてその権限に属しない処分の取消をなしたものと解しなければならないものではないから前記文言の使用は前段認定の支障となるものとはいえない。
そして農業委員会が買収、売渡計画の樹立の限度においてその権限を有し買収売渡処分の権限を有しないことは控訴人ら農地の売渡を受けた関係者の容易に知り得るところであるから委員会から控訴人らに対する右通知書に右処分の取消なる文言が使用されていても同書面には取消が確認されたとの記載があることに照し処分の取消通知は計画の取消通知を意味することも控訴人らの理解に困難があるとは到底考えられないところである。
したがつて右の用語の不正確の故に買収売渡計画の取消とその通知があつたものとすることを妨げるものではない。
次に成立に争のない乙第四号証、甲第一一号証によれば、戸浪は買収令書を受け取りその頃代金を異議なく受領したと推認されるところ昭和二五年九月頃になつて令書を委員会に返戻したものと認められるし、成立に争のない乙第一二号証によつて成立が認められる甲第一七号証によれば、森住は本件土地が買収されたことについて直ちに異議を述べず昭和二四年十一月頃専業農家に売り渡されることについて承諾を与えたことが認められるので、右売買の存在を疑わさせるように見えるけれども、森住の右承諾は現在の耕作面積と概ね同面積の耕作地との交換を条件としたものであることは甲第一七号証の記載に照し明らかであるところ、右乙第一二号証によれば本件土地が買収されても耕作者である自己に売渡しがなされるものとの期待のもとに買収に対し強いて異議を述べなかつた事情が推測され、したがつて甲第二二号証によつて窺われる森住が委員会に対し一旦前記乙第一号証(土地売渡契約書)にもとづき売買による本件土地の所有権を主張しながら、右乙第一号証の書面のみでは売買の事実を認め難しとされるに及び、あえて売買を固執しなかつたことも右の期待によるものと認められ、また戸浪としても本件買収に異議を述べなくても格別の不都合はないとの考えからこれに関心が薄かつたものと見るべきであるから右各書証は前記認定を覆えすべき証拠とするに足りない。
右認定に反する甲第一三号証の二、同第一六号証の一の記載と原審証人高橋徳次、同堀内款三郎、当審証人鎌田圭次の各証言と原審及び当審における控訴本人高橋議平の供述は措信し難いところであり他に右認定を左右すべき証拠はない。
右認定事実によれば、本件農地の買収計画樹立当時その所有権は森住に帰属する自作地であつて買収の対象とされるべきものではないので、農業委員会のなした前記買収計画の取消は買収及び売渡処分がなされた後であつても、都知事の確認を経た以上有効たるを失わないものと解すべきである。これに反する控訴人らの主張は採用できない。従つて右買収計画を前提とする本件土地の買収処分は、右買収計画の取消によつてその効力を失うものと解するのを相当とするから、控訴人らは右買収処分を前提とする売渡処分により本件土地所有権を取得しえないものというべきである。この点に関し控訴人らは、売渡処分が完了した以上、買収計画の取消により売渡処分による控訴人らの既得の権利を覆減することは許されないと主張し、控訴人らが売渡処分によりそれぞれ前記土地につき所有権移転登記を経ていることは前記認定のとおりであるけれども、控訴人らが右各土地の引渡をうけ耕作に従事していた事実を確証するに足る証拠なく反つて弁論の全趣旨によれば控訴人らがいずれも本件土地の引渡をうけていなかつたことが窺われ、このような場合において前記計画の取消の効力を認めて妨げないものと解するを相当とするから控訴人らの主張は排斥を免れない。
それ故控訴人らは本件農地の所有者ということはできないので、その所有権を前提とする控訴人らの請求は、その余の点の判断をなすまでもなく失当であつて棄却を免れない。
よつてこれと同趣旨の原判決は相当であるから民事訴訟法第三八四条、第九五条、第八九条、第九三条に則り主文のとおり判決する。
(裁判官 大場茂行 西川美数 秦不二雄)
(別紙物件目録省略)